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2016年3月 6日 (日)

マルコによる福音書 9章38~41節 「仲間の輪は広がるはずだ」

 12人がイエスの名前を使って悪霊を追い出している者を見たけれども自分たちに従ってこないのでやめさせました、とあります。ならば自分たちはどうなのか?受難予告に無理解な弟子たち。誰が一番かを競い合うような、他者との違いを見て、より優れているか劣っているかで自分を判断するという、そういう価値観で弟子たちはいるのです。何とかまとまりたいという思いで、自分たちの枠を閉じて自分たちに従わない者を排除するという、そういう雰囲気がここには強く表れています。共同体のあり方の歪みというものと、それからそれぞれが所属している共同体の中での、自分を判断するための差別化みたいなものが同時進行で起こっているということです。
 2015年2月19日(木)の朝日新聞オピニオン欄に「分断される世界」という題でエマニュエル・トッドという学者が述べています。「表現の自由は絶対でなければいけない。シャルリー・エブドにはムハンマドの風刺画を載せる権利がある。一方で私にも誰にでも、無論イスラム教徒にも、シャルリーを批判する権利がある‥‥イスラム嫌いのくだらん新聞だと、事件の後も軽蔑し続ける権利が完全にあるのです」。
 これは「自己偏愛」が問題だとの指摘だろうと思います。この「自己偏愛」というものを崩していくことによって新しい関係が生まれていくのだという、この方向性を教会は受け止める必要があるのです。今日のテキストの小見出しには「逆らわないものは味方」とあります。これをさらに詰めていくならば、自分を愛するように他者を愛していくこと。自分を愛するということは「自己偏愛」ではなくて、自分というもののプラス面もマイナス面をも含めて相対的に自分を捉えかえすということによってはじめて他者に向かいうるのだという視点もあり、さらには敵を愛せという教えにもつながっていくのです。
 弟子たちの振りを見ながら、自らを相対化しつつ、別の道、つまり「自己偏愛」から解放されることによって、異なるもの、異なるグループ、異なる国とも対話していく可能性が開かれていくのだというイエスの教えを受け取ることへと赦されていくのです。教会、家族、学校、職場等、それぞれの場所において一つずつ受け止め、捉え直していく、それだけの価値あることです。このように今日の聖書は語り、そのような意味において仲間の輪は「自己偏愛」によらない仕方で広がっていくのだという約束があるのです。

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