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2016年1月24日 (日)

マルコによる福音書 8章27節から9章1節 「旅の途上で」

 「サタン、引き下がれ」との言葉は、人間の側から抱くイエス・キリスト像を打ち砕きます。サタンという言葉の激しさに戸惑います。でも「引き下がれ」というのは、あっちへ行け、お前なんかもう知らないよ、お前はもう仲間じゃないから、この仲間から出ていけ、という意味の「引き下がれ」ではないのです。田川建三は「私の後ろにひっこんでいろ」と訳しています。渡辺英俊牧師の訳は「私の後ろに直れ」です。フィリポ・カイザリヤを去っていきながら、ガリラヤでの活動からエルサレムに向かっていくという道筋を主イエス・キリストは見つめ、向いているのです。その向いているイエスの背中に向かって直れ、ということが「引き下がれ」という言葉の持っている意味です。つまり、神のことを思わず、人のことを思ってはいるのだけれど、もう一度イエスの背中を見つめて、イエスの背中に向かって向き直るときに、もう一度、そして何度でもイエス・キリストの歩みに伴っていくことができるのだという招きの言葉が「サタン、引き下がれ」という言葉の示そうとしていることです。
 主イエス・キリストは弟子たちの無理解をわかっていました。にもかかわらず、というよりは、むしろだからこそ何度でも何度でも直れという風に語り続けたのです。やがては弟子たちが自分の逮捕に際して、蜘蛛の子が散らされるように逃げていく、そのようなことも多分ご存知でした。そのような弱さを抱え、その弱さのゆえに不安とか恐れがあって、そのおそれを覆い隠すために、権力であるとか栄光であるとかを求めてしまうような人間の性をもっているのが、後の教会の指導者の一人であるペトロの姿です。
 そのペトロの2000年後の仲間であるわたしたちも、しばしば神の思いよりも自分の思いを優先してしまいます。ですが、主イエスは、このようなわたしたちの現実の弱さというものをすべて分かっていてくださるので、わたしたちは自分の課題、自分の願いというものを率直に神に向かって祈ることは赦されています。困った時の神頼みのようにして何故ですかと訴えかける中で、「サタン、引き下がれ」という言葉をかけられるのです。主イエス・キリストの背中に向かって直れ、という言葉の促しに導かれていく中で、わたしたちは新たな道というものが、それぞれに与えられて示されてくるに違いありません。そこにおいてわたしたちの中に主イエス・キリストに対する信仰というものが整えられていき、何度でも主イエス・キリストに向かって悔い改めていくこと、方向を転じていくということができるに違いないのです。そのような道が絶えず用意されている、と今日の聖書は告げています。

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