詩編130:1-8 「待つことを学ぶために」
QOLは、人生の質、生活の質の略語です。QOLを考えるときに、悩み、痛み、苦しみというものをマイナス・消極的意味ではなくて、積極的なもの・そこには意味がある、ということを受け止めていく中で、QOLを深めていくことになるのではないか、という流れに変わりつつあるのです。
この詩人は非常な絶望の淵におかれていることが分かります。しかし、絶望を口にすることのできる前提には神の存在があります。聖書のテキストを読むときにしばしば行われる方法がありますが、最後から読むというものです。詩編だと分かりやすいですが、たとえば、7節と8節を読んでおいて1節から読み直してみると筋が出てくることがあります。「イスラエルよ、主を待ち望め。慈しみは主のもとに/豊かな贖いも主のもとに。主は、イスラエルを/すべての罪から贖ってくださる。(7-8節)」
「深い淵」とは黄泉と呼ばれる地の底、奥深くであったかもしれないし、深く険しい谷底であるかもしれない。光が届かないようなところであって、自分の力では抜け出すことができない、どん底であったかもしれない。そこから、「主よ、この声を聞き取ってください。嘆き祈るわたしの声に耳を傾けてください。主よ、あなたが罪をすべて心に留められるなら/主よ、誰が耐ええましょう。しかし、赦しはあなたのもとにあり/人はあなたを畏れ敬うのです。(2-4節)」
5節以降で「待つこと」が強調されます。「わたしは主に望みをおき/わたしの魂は望みをおき/御言葉を待ち望みます。(5節)」。さらに「わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして/見張りが朝を待つにもまして。(6節)」とは、神による支えによって力づけられ、待つ力が備えられるのです。
暗闇、夜明け前の一番暗い時間帯、ただひたすらに一筋の光を待つ見張りが待ち続けるのだと。痛み、悩み、苦しみ、病、様々な困難、解決不能であるかのような事態、絶望しか呼べないような事態にあっても、神はいらっしゃるということによって、呼ばわり祈ることが赦されていることによって、その人生の意義というもの、人生の質というものを問うていこうとする態度、このことがクリスマスを待つ態度でもあろうかと思います。
イエス・キリストの神を前提としたQOLを求め、クリスマスを待つということにおいて、待つことを学び、より祝福されたあり方へと変えられていくようにと願っています。
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