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2015年9月 6日 (日)

マルコによる福音書 6章14~29節 「権力に抗して」

 父親のヘロデ大王の死後、息子たちにかつての支配地が分割されます。ヘロデ・アンティパスは、ガリラヤとペレアの領主となりました。領地内でイエスの名が知れ渡ったとありますから、弟子たちの活動の拡大によって、イエスの名前が聞こえてきたということでしょう。ヘロデ・アンティパスは、自分が首をはねたヨハネが生き返ったのだと思います。ここで、ヨハネが首をはねられた出来事が物語の時間の流れを巻き戻して語られます。
 今日の箇所は、イエスが12人を派遣した記事と、その伝道報告を受ける記事に挟まれています。何故この物語がここに挿入されたのか読み取りたいと思います。洗礼者ヨハネの逮捕から処刑の物語はイエスの逮捕と十字架刑へと用意されます。さらには、そこに留まらず、弟子たちの運命も同時に暗示され、そこで、いかなる歩みを選び取っていくのかが示される、という仕組みがあります。暗に弟子たちの派遣の状況が洗礼者ヨハネの境遇とつながっていることを示すものです。この12人の運命のあり方がマルコ13章に記されています。
 マルコ福音書の教会は、この世の権力だけではなく、万人の憎悪の中を生きなければならない宿命にあります。新約聖書学者の大貫隆によれば、マルコ福音書の目的は、次のように要約されます。
 <実現しつつある「神の支配」福音を携えて登場し、悪霊を祓い、病人を癒し、人々をモーセの律法の桎梏から解放しながら、自分自身を救うことはついにできず、十字架の上に果てたイエスこそ、「キリスト」であり、「真に神の子」である!という逆説です。そしてマルコ教会に向かっては、この逆説的信仰を、勇気をもって告白し、万人の憎悪の中を生きよ!というのです>
 キリスト教の2000年の歴史を批判的に顧みるときに、現代の教会にも楽観的な要素は見当たりそうにありません。しかし、インマヌエルのゆえに、孤独ではない、何故なら教会を派遣するのは、生きているキリストが聖霊として働かれているという現実認識によるからです。マルコ福音書13章をキリスト者は、歩まなければならなくなることが、あるかもしれません。一見滅びの道かと思えることが起こってくるかもしれません。しかし、それが信仰の道なのです。だから、今日を感謝しつつ、不安な明日、将来に向かって勇気を持って引き受けていくことができるのです。
 6章12から13節には、次の言葉が記されています「十二人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした」。わたしたちは、この世の中へ出かけていき、生き方やものの考え方の方向転換を求め(悔い改め)、民を顧みない権力(悪魔)に抗し、病んでいるこの世を癒していく業に召されていることを確認しておきましょう。ここにキリスト者の使命があります。

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