« マタイによる福音書 5章13~16節 「信仰告白の事態」 | トップページ | マタイによる福音書 15章21~36節 「信仰とは」 黒澤 誠一 »

2015年8月 9日 (日)

マルコによる福音書 5章21~43節 「確かな信頼が大切です」

 ヤイロの娘の死の物語と出血の女性の物語です。病と死の現実に対してのイエスの振る舞いと言葉から、それらの価値観を根底からひっくり返すイエスの価値観が示されているのではないでしょうか?
 ここに共通しているのは「ひれ伏す」という全幅の信頼の大切さです。そして、その信頼に対して、出血の女性に対しては自らが穢れを身に受けることで穢れ事態を無化し、ヤイロの娘については、死という現実を眠りとして理解させます。そして、それぞれ「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」「タリタ、クム(少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい)」と声をかけます。このように当時の神観念をひっくり返すことにより、つまり、イエス・キリストの視点から見つめ直すことにより、病も死も、その現実が今や乗り越えられていることが示されているのです。
 わたしたちも、今日の聖書により、この物語に共に巻き込まれてしまっていることを確認することができるのではないでしょうか?病と死とは、わたしたちの生涯にまとわりつく蔦のように感じられることがないでしょうか?わたしたちの誰一人として例外なく、死を迎えます。また、死に至るまでに病が関わってくる可能性も否定できません。
 しかし、このようなわたしたちもイエス・キリストの振る舞いと言葉によって、この世にあっても神のもとに召されるにあたっても、安心と平安が備えられていることに気づき、感謝をささげることができるのです。かの人たちがそうであったように、ひれ伏すようにして、確かな信頼のもとにです。既に、イエス・キリストは前もって受け入れてくださっているのです。「娘よ、あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず、元気に暮らしなさい。」「少女よ、わたしはあなたに言う。起きなさい」という言葉は、この世の価値観や別の神々によって強いられている、わたしたちの苦悩の現実がすでに乗り越えられた事実として、今日のこととして届けられている言葉なのです。ここに救いの確かさの事実が示されています。救いとは、その場しのぎの事柄ではなくて,その人の丸ごとがイエス・キリストによって正面から受け止められることで良しとされている現実のことです。どのような律法や人々の価値観からも自由とされている現実のことです。イエス・キリストと結ばれて、今ある姿のままで、全くの条件なしに全存在が祝福されてしまっているという現実のことです。
 奇跡物語は、そのまま信じる原理主義からも、あり得ないという懐疑主義からも自由に聞かれるべき神の言葉であることを、共に確認しつつ感謝の祈りをささげましょう。病と死とを乗り越えるところにこそ、イエス・キリストの命に与る道が備えられているのです。

« マタイによる福音書 5章13~16節 「信仰告白の事態」 | トップページ | マタイによる福音書 15章21~36節 「信仰とは」 黒澤 誠一 »

マルコによる福音書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マルコによる福音書 5章21~43節 「確かな信頼が大切です」:

« マタイによる福音書 5章13~16節 「信仰告白の事態」 | トップページ | マタイによる福音書 15章21~36節 「信仰とは」 黒澤 誠一 »

無料ブログはココログ