« マルコによる福音書 4章33~34節 「生き方の中で理解する」 | トップページ | マルコによる福音書 5章1~20節 「自尊感情の回復」 »

2015年7月19日 (日)

マルコによる福音書 4章35~41節 「黙れ、静まれ」

 主イエス・キリストは荒れ狂う湖の中で眠っていた、その姿というのは実は、基本的なところで楽観であった方です。わたしたちは嵐のただ中にあってもイエス・キリストと共にいる、という、あのイエス・キリストの楽観に学びながら平安であることができる、この安心感と安堵感、を今のこととして捉えかえすことができるのではないでしょうか。嵐の中にあって静けさを取り戻す、落ち着いているということによって、わたしたちが不安とか怯えの中にあっても安らいでいることができるのだという信頼が問われているのです。
 わたしたちはこの社会の不安定な中で、このまま放っておいたら<いのち>が滅びてしまうのではないかとか、不安、恐れ、狼狽、予期せぬ出来事が起こってきます。今日の状況は、まさにそうです。しかし、そこにおいてこそ、主イエスは近くにおられることを奇跡物語として今日の聖書は喩えとして語っているのです。主イエス・キリストが嵐のただ中において、にもかかわらず静けさ、平安をもたらし、共にいてくださる。舟に乗って寝る仕方で安心の姿を見せてくれている。黙れ、静まれという言葉を湖に語りかけただけではなくて、わたしたちの心の中に起こってくる様々な嵐、恐れや不安に向かってもイエス・キリストの神は今日も、黙れ、静まれと、語りかけてくださっている。その言葉が確かなので、わたしたちは、一人ひとりの不安や恐れ、またこの時代状況のなかにあっても、主イエス・キリストは近くにおられるので、それぞれが負わされた課題を担っていくことができる。このように祈りが深められていく課題に立たされているのです。
 一体この方は誰か、と問います。わたしたちは、十字架の主であり、磔つけられた主であり、よみがえられた主であり、昇天された主であり、天にいて神の右にいます主こそがイエス・キリストであると答えるのです。このことを、今のこととして確認しておきたいと思います。福音書が物語るところによれば、イエスに風や湖も従ったのだから、わたしたちも信じて従っていけば、どのような困難な状況、嵐吹き荒れる状況であっても平安を保ちながら歩んでいくことが赦されてしまっていることが信じられるのです。新たな祈りの中でさらなる前進がすでに用意されており、そこに向かってわたしたちは歩んでいくことが赦されているのです。何故なら、すでに主イエス・キリストの「向こう岸に渡ろう」、という言葉によって、困難な道をさらなる前進によって歩むことが求められているし、促されているからです。今日の聖書の告げるところは、嵐のただ中で危機的な状況に置かれていても克服していく道が備えられているという確信が、主イエス・キリストによって与えられるのだという信仰の告白が時代を越えて共有されるという証言なのです。

« マルコによる福音書 4章33~34節 「生き方の中で理解する」 | トップページ | マルコによる福音書 5章1~20節 「自尊感情の回復」 »

マルコによる福音書」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: マルコによる福音書 4章35~41節 「黙れ、静まれ」:

« マルコによる福音書 4章33~34節 「生き方の中で理解する」 | トップページ | マルコによる福音書 5章1~20節 「自尊感情の回復」 »

無料ブログはココログ