マルコによる福音書 4章30~32節 「イッツ・ア・スモールワールド?」
「イッツ・ア・スモールワールド」とは世界中のディズニーパークにあるアトラクションの名前です。テーマ曲の歌詞は次のようなものです。
【世界中 どこだって/笑いあり 涙あり/みんな それぞれ 助け合う/小さな世界/世界はせまい 世界は同じ/世界はまるい ただひとつ/世界中 だれだって/ほほえめば なかよしさ/みんな 輪になり 手をつなごう/小さな世界/世界はせまい 世界は同じ/世界はまるい ただひとつ】
しかし、ディズニーパークの描く世界観は、この歌の「世界」をめざす方向性ではなくてアメリカの覇権主義を表わしているものであると、わたしには思われるのです。
今日の聖書が語るのは、からし種という1ミリ前後の直径の粒が、そのままで「蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る」(4:32)約束があり、これが神の国なのだ、との宣言です。ここで前提とされているのは世界樹という考え方です。その思想は、旧約にも影響を見ることができます(エゼキエル31:3-9、ダニエル4章など参照)。大木である王権が太い幹であり、年輪を増すように権力が増大し、枝や葉が茂るのは、その権力の広がりの勢いを示しているのです。いわば、一本の木によって世界帝国の野望が表現されているのです。
しかし、イエスは、世界樹の思想ではなく、小さなからし種の成長という世界観、庶民レベルに世界観を取り戻すのです。日々の生活から離れて神の国はない。当たり前の、身近な生活の中にこそ、神の国の発見の可能性が秘められているというのです。覇権主義的な世界観はバビロニアなどの世界樹の思想を支えています。一方、イエスの育ったからしの世界観で生きていこうという「小さな物語」としての世界観は、小さくされている人たちをこそ大切にする方向づけがなされているのです。「イッツ・ア・スモールワールド」で歌われている内実を庶民の側に取り戻すことができるかもしれないのです。今日の説教題の「?」が外されるような世のための教会を目指していきたいと願っています。
そのためには、「小さな物語」としての一本の芥子の世界観を取り戻すところから始まるのだとイエスが語っているように思われます。つまり、片隅に追いやられている、より弱い立場、小さくされている人たち、この人たちに寄り添うようにして、この世において旅するのがキリスト教会の使命だということです。
幼い子どもたちや高齢者が喜んで生きられる世界、ハンディキャップのある人が胸を張って生きられる世界、これが「小さな物語」としての神の国なのではないでしょうか?大きな大木に身を寄せる生き方ではなくて、一本のからしの下で生きていく態度にこそ、神の国が示される、このように主イエス・キリストは語りかけているのです。
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