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2015年2月

2015年2月15日 (日)

ルカによる福音書5章1~11節 「み言葉に従いて」 山田康博

 イエスがガリラヤで宣教活動を始め、ゲネサレト(ガリラヤ)湖畔を訪れたときのこと。イエスの話を聞こうと大勢の人々が押しかけたので、イエスは漁師のシモンに舟を出してもらい、舟から湖畔の群衆に話をされた。しかしルカ福音書には、イエスの話した内容については一切書いていない。これはそのとき、シモン・ペトロがイエスの話をほとんど何も聞いていなかったことを示している。
 ペトロたち漁師は前の晩、一晩中漁をしたけれど、まったく収穫がなかった。収穫がなければ明日の糧もない。生活のことで頭がいっぱいのペトロにはイエスの話も耳に入らなかった。イエスはそれを知って、ペトロに舟を沖に出し、網を降ろすように言う。ペトロは前の晩何もとれなかったのだから、網を降ろしても無駄だと思ったが、言われたとおりにした。すると網が破れんばかりの魚がかかり、舟が沈みそうになった。おもわずペトロはイエスの足元にひれふして叫ぶ。「主よ、わたしから離れてください。わたしは罪深いものなのです」。
 ペトロの心のなかに大きな変化が起こった。いままでイエスとの間に距離を持ち、神に信頼を置いてこなかったペトロのなかの堰が壊れ、自分自身が砕かれたのだ。イエスは言う。「恐れることはない。今から後、あなたは人間をとる漁師になる」。
  「湖」とは私たちのいる虚無と混沌の渦巻く社会。紛争のやまない世界、汚染水の止まらない福島だ。この地上はガリラヤ湖だ。生きるために四苦八苦していたペトロはイエスの言葉に従ってしぶしぶ漁をしたら、おびただしい魚がとれた。とれた魚をよく見ると、それは自分自身だった。多くの人と一緒にイエスに捕られた自分だった。
  人が自分の持っている個性をありのままに社会で認められ、生きた人間になること、隣人もともに生きた人間になることをこの話は示している。人がほんとうの自分を取り戻すこと、それを聖書は「福音」、「喜びのおとずれ」と言う。

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