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2014年9月 7日 (日)

使徒言行録 18章1から11節 「前進」

 17章には、アテネで伝道した物語があります。アテネは、いわゆるギリシャ哲学の本場です。そこでパウロは説教をするのですが、相手にされないのです。死者の中からのよみがえり、イエスの復活が喜ばしい出来事なのだという主張がです。話せば話すほど疲労が蓄積していくような感じでしょうか。パウロは持病を抱え、加えて精神的なダメージが嵩んでくる。アテネ伝道は残念ながら失敗に終わり、逃げるようにして次の場所コリントに向かったのです。
 パウロは相当参っていたのでしょう。自信喪失、自分の言葉が手の中からポロポロこぼれていくような喪失感、あるいは、もうイエス・キリストについて語るのは辞めようというような弱気に陥ったのかもしれません。孤独感に苛まれていたのかもしれません。しかし、そのパウロに対して、9~10節の言葉が与えられます「恐れるな。語り続けよ。黙っているな。わたしがあなたと共にいる。だから、あなたを襲って危害を加える者はない。この町には、わたしの民が大勢いるからだ」。
 ここには、パウロの恐れと沈黙と孤独に対しての励ましがあります。パウロを支える幻の中で響く言葉。この言葉は具体としてイエス・キリストの神から仲間が備えられることでした。孤独ではない、この事実は仲間の備えにあります。「アキラとプリスキラ」という同業者、「シラスとテモテ」という伝道者、「ティティオ・ユストと会堂長のクリスポ」という助け手が次々と与えられるのです。仲間が備えられているのです。
 イエス・キリストが復活したという出来事は、孤独ではないことの具体化へと転じていくのです。具体としての仲間が与えられる根拠はイエス・キリストご自身に由来します。すなわち、アテネからコリントに辿り着いた事情を示しているコリントの信徒への手紙Ⅰ 2:1~5の言葉によって確認できます。「兄弟たち、わたしもそちらに行ったとき、神の秘められた計画を宣べ伝えるのに優れた言葉や知恵を用いませんでした。なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。わたしの言葉もわたしの宣教も、知恵にあふれた言葉によらず、“霊”と力の証明によるものでした。それは、あなたがたが人の知恵によってではなく、神の力によって信じるようになるためでした。」と。「わたしも」とパウロが語る時の「も」とは、衰弱と恐れと不安を共に担っていてくださるイエスが「わたしがあなたと共にいる」リアリティーで会ったことは間違いありません。
 ここから何度でもやり直し、歩み直しができるのです。キリスト者の生とは、このようなものなのです。この出来事は現代の弟子である、わたしたちと決して無縁ではないとの約束に慰めと希望が備えられています。

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