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2014年8月24日 (日)

ローマの信徒への手紙 8章26~30節 「祈り合う力」

 パウロは、困難な状況をあえて希望する、あえて忍耐する道を選んでいます。困難を受け止めることができる、耐えることができると信じています。そこで何によって支えられているかというと「霊」と呼ばれる事柄によってです。「霊」ご自身が弱い私たちを助けてくださる、という。どのように助けるか?「わたしたちは祈るべきことを知りませんが、霊自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」とあります。
 どのような方向を自分で判断しうるか、ということを失っている、それこそ、わたしがわたしでなくなるような、我を失ってしまうような現実において、「霊」という方がうめきをもって執り成してくださっているのだと。言葉化できない状況とは、自らの状況が混乱している、非常に危機的な状況にあるということです。もちろんパウロも何度も経験してきています。しかし、それでも大丈夫だという信仰があるのです。
 何故ならば、そのような危機的な状況の中にあって共にいてくださる方があるということ。その方は確かに目に見えるものではない。けれども、リアルとして8章26節の言葉があります。すなわち、「同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。」と。
 祈りさえも自らの言葉を紡ぐことが不可能な状態です。その中で「霊自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです」という時に、その危機的状況に寄り添ってくださってくださる方が確実にある。パウロは確信しているのです。その方のことを知っているからです。むしろ、パウロ自身が知っているということよりも、パウロ自身がその方から呼びかけられた経験を持っているからです。
 「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」(使徒9:4)。このようにして出会ってくださった復活のキリストとの出来事、さらには主イエス・キリストご自身が実は言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるのです。これは十字架上での死に際して、うめきの極みとしての絶叫された姿において現されています。この主イエスの十字架の姿によってこそ、弱いわたしたちは助けられているのです。ここに幸いがあるのです。
だから、わたしたちもまた、言葉化できない状況の中でも、祈り合うことができるのです。今度は、寄り添ってくださる方の存在を知るわたしたち一人ひとりが、「小さなキリスト」として誰かのために執り成しをすべく召されているのです。ここにキリスト者の祈り合う生き方が備えられているのです。

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