使徒言行録 1:章15~26節 「教会につながること」
イスラエルというユダヤ民族は12部族からなっていると信じられていました。この12が転じてイエスの弟子たちが12人であったと新約聖書は解釈しています。女性の弟子も大勢いたはずですが、教会の象徴的な主流メンバーが12人であったということです。マティアが選ばれたということは、12のうちの1が欠けた状態を、ただ単に数合わせで補ったということではありません。教会に限らず人間の共同性の中で、一人が欠けるとか一人が加わるという時には、その共同体の関係性が不安定になります。人間の共同体は流動的なので、その中でアクティブな関係でいるためには、なるべく関係を整える必要があるということです。アクティブな状態とは、1+1=2ではなく1+1>2の働きをするということです。関係性がアクティブでなくなると活動が低下するのです。11に1を足すことで12にしたという記事は、教会という人間関係をよりアクティブにするための儀礼であったのだと、わたしは理解します。
人間のあり方、つまり神が人と人との関係を取り持つことによって、人間がより生き生きと1+1>2の働きを起こす、その可能性に委ねていく、ということです。アメリカのフォークソングにピート・シーガーの「一人の手」という歌があります。
1.私の手だけじゃ牢屋は破れない
あなたの手だけじゃ牢屋は破れない
※でも二人また二人そして50人と増えていけば100万になる
やがてその日がやってくるだろうやがてその日がやってくるだろう
2.私の声だけじゃ彼らに届かない
あなたの声だけじゃ彼らに届かない ※
3.私の力だけじゃ原爆はとめられない ※
4.私の力だけじゃ人種差別は破れない ※
5.私の力だけじゃ組合は作れない ※
6.私の足だけじゃこの国を横断できない ※
7.私の目だけじゃ未来をはっきりと見ることはできない ※
こうしてみると、一人から関係がつながってくることによって1+1が2以上、それこそ100万の力にさえなっていくことによって変えていくことができるのだという希望的観測のもと、シーガーは歌い続けました。
今日の聖書は12人のうちの一人が欠けて、それを補ったということではありません。絶えず教会の関係性というものを問い返し、整えていくことによって、1+1>2の働きができていく可能性をいつも教会は持っているのだということです。わたしたちは今日、この聖霊が確かに働かれていることを信じることが赦されている幸いを受け止めたいと思います。ここに教会のつながり方を確認することができます。
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