ヨハネによる福音書 4章5~42節 「いのちの水」
~エジプトをテーマにした世界祈祷日礼拝として~
イエスはユダヤ人です。井戸で出会ったのはサマリヤ人の女性です。ユダヤとサマリヤはもともとは一緒の民族だったけれども、時代状況の中で分けられ、憎み合っていました。しかし、イエスは民族的な壁を平気で乗り越えてしまうのです。また当時、他の目がないところで男と女が二人でいるのは良くないと考えられていましたが、イエスは頓着しません。
井戸というのは普通朝か夕方、女性たちが水を汲みがてら様々な話に花を咲かせる社交場でした。しかし、この女性は人目を避けるように昼頃来たのです。自分は皆から認められていないし仲間外れにされている。自分はダメな人間なのだと思わなければならないように強いられていたのでしょう。イエスは声をかけて話をすることによって、その人が胸を張って生きていっていいのだと気が付くようにする、そういう力をもっていました。イエスの言葉は、ただ一回、水を飲むことよりも、もっと体の中から水が溢れて心が豊かにされていくような力を与えてくれるのです。そのサマリヤの女性は、身体の中から<いのち>の水が湧きあがってくる経験をしたのです。そして、以前は人前に出ていくのは嫌だったけれども、元気が出て今度はイエスのことを皆に伝えたいと思って町に出ていくことができるようになったのです。
今日のテーマであるエジプトは、古代から繁栄した文化をもっていました。ナイル川を灌漑することで荒れ地にも畑を広げていったのです。しかし近年は独裁政権のもと、苦しむ人々もいました。2011年にいわゆる「アラブの春」が起こり、チュニジアから始まって、主にアフリカ大陸の北の国々で民主化が始まりました。約30年間支配していたムバラク大統領を民衆が辞めさせ、選挙でムルシ大統領になりました。これから平和な世界がエジプトにもやってくるのだと期待したのですが、今度は軍隊がクーデターを起こしました。この4月には、おそらくエジプトは軍事政権になるだろうと予測されています。
でも、絶望しちゃいけないし、希望はあると理解したい。あのサマリヤの女性に向かってイエスが語ったように、決して涸れることのない<いのち>の水が湧いてくる力が与えられているのだから、決して絶望することなく歩んでいくことができるのです。その希望を失わなければ、きっとたとえ今はそうでなくても皆が喜んで暮らせる平和に向かって歩んでいくことができるのだと。砂漠に流れる水のようなイエスの思いを共に受け止めたいと願います。
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