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2013年12月22日 (日)

ルカによる福音書 2章8~20節 「飼い葉桶を見よ」

 厳しい旅の中、マリアは男の子を出産し、幼な子は飼い葉桶に寝かされます。そして、この主イエスの誕生が真っ先に知らされた記事が続きます。「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」(8)。羊の毛は着る物の材料、肉は食用になるのですから、羊飼いというのは尊い職業のはずです。しかし、住む家のある人たちからは「住所不定のいかがわしい人間」と見られていたようです。彼らの言うことの信憑性は薄いのだから、と裁判などの証言者にもなれなかったようです。一般社会から偏見をもって見られ、疎外されていました。その上、羊が獣や強盗などに襲われる危険性とたえず隣り合わせの日々を孤独に過ごしていたのです。ですから、いわば光の世界からはじかれ、暗闇の中で生きることを常とするように強いられていた羊飼いたちが、主の天使が近づき主の栄光が周りを照らしたとき、「彼らは非常に恐れた」(9)というのも無理のないことです。
 天使たちは他の誰でもなく、真っ先にこれらの羊飼いたちのところへ現われた、というのです。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」と。光を見て、非常に恐れた羊飼いたちは、その直後に喜びに満たされます。疎外と孤独、日々の厳しい生活のことでも不安や心配を山ほど抱え、苦労して生きている、そのような羊飼いの一人一人に向かって、今日、「あなたのために」、救い主がお生まれになったと言ったのです。
 「あなたがたのため」とは、もちろん羊飼いたちだけにとどまらず、民全体のためでもあります。そして、それぞれに不安や心配を抱えている、現代に生きるわたしたちに向かっても「あなたのために」救い主がお生まれになったというのです。
 あなたは決して神から見捨てられてはいない。あなたのために救い主が生まれた。その救い主は、羊飼いたちと同じ地平に生まれて、彼らと同じようにあらゆる苦しみの道を歩む方です。いわば、飼い葉桶から十字架まで、神のへりくだりの道を歩まれた方なのです。
 その道行きを示すかのように神を賛美する大きな歌声が天に響きます。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」(14)。神の意思において、見栄えのない姿の幼な子を送ることによって、天の栄光は地の平和となったのです。つまり、この幼な子において、天と地が結ばれた、ということなのです。
 このクリスマス信仰わたしたちは支えられているのです。

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