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2013年9月 8日 (日)

マルコによる福音書 4章1~9節 「イエスの基本は楽天性」

 今日の種蒔きの物語では、「蒔いたらあるものは30倍、あるものは60倍ある者は100倍にもなった」。直訳すれば「1、30」「1,60」「1,100」です。すなわち、成長して何倍にもなるのではなく、一人ひとりに与えられている<いのち>の種は今のままですでに30,60,100の実りの約束があるのです。例外として道端に落ちた一粒、石だらけで岩盤の上の薄地に落ちた一粒、茨の中に落ちてしまった一粒、蒔かれた種で結局実らなかったのは三粒だけです。この約束のもとで祝福されてしまっているのだということを「聞く耳のある者は聞きなさい」と書かれています。わたしはここにイエスの楽観主義が表れていると考えます。
 物語の聴衆、イエスの周りにいる人たちというのは、生活に困難をおぼえている人、病に苦しんでいる人、様々な悩みや辛さに打ちひしがれている人たちです。いわば、生活の根幹が根こぎにされている大きな不安とか恐れの中にある人たちがイエスの言葉の聞き手なのです。その人たちに対して、その人たちの状態をよくよくわかった上で、イエス・キリストは基本的なあり方とは楽観なのだと語っています。あなたたちは小さな一粒の種であるように自分のことを思っているかもしれないけれど、一粒の種には、今あるがままで、それぞれに30,60,100という約束があるのだと。今もうすでに、その約束のうちにあなたたちは祝福されてしまっている。だから、どのような苦境にあろうとも決して希望を失うことはないのだ、とイエス・キリストご自身が語っているのです。
 種蒔きのたとえで言われているのは、安心して委ねていくことができるということです。それをイエス・キリストご自身が生き抜いて見せた。活動の最初から、神に身を委ねていく仕方で従順と謙遜の道を歩まれた、その基本に楽観性のあることは、真であるのです。
 わたしたち一人ひとりは、全く無意味でも無価値でもありません。孤独でもありません。誰かとの関係の中で、命のつながりがあるのです。時には苦しいこと辛いこと、試練の道があったとしても、ここから逃げ出したいという思いに駆られたとしても、大丈夫なのです。今、置かれている場所、蒔かれた地において、しっかりと根を張って生き抜いていくことが赦されているからです。今おかれている場所で、30,60,100、そのような実りをもたらす生き方が約束されているのです。イエス・キリストが生き抜かれたところの、基本が楽観であるという生、命というものが、そこにはあるのです。そこに向かって身を向けていくことへの促しが「聞く耳のある者は聞きなさい」という言葉です。

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