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2013年6月 9日 (日)

使徒言行録 3章1~10節 「元気をくださるイエスさま」

花の日・子どもの日(子どもとおとなとの合同礼拝)
 リレーでバトンやタスキを渡します。教会の二千年の歴史も、ちょっと似ているところがあります。バトンとかタスキに当たる物は、目に見えないけれどもイエス様が与えてくれる十字架からの復活の力、元気の素、勇気の素です。それを次から次へと渡していくのです。
 ペトロとヨハネはイエス様のことをもっと知ってもらいたいと思って、神殿に行きました。ちょうどお祈りの時間でした。エルサレムの神殿にはいくつもの門があり、その中に「うつくしい門」と呼ばれるものがあったようです。そこに生まれつき歩けない人がいました。誰かが運んで連れてきたのでしょう。そこで施しを受けて、生計を立てるのです。たぶんその人を運ぶ人も分け前にあずかっていたのだと思います。ペトロとヨハネが来ると、その人はどうぞ施しをくださいと言いました。ペトロは言います。お金は持ってないが、持っているものをあげよう。それは「ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」との言葉です。この言葉はバトンやタスキの働きをもっているのです。十字架から復活したイエス様の力によって勇気が与えられるのです。イエス・キリストという言葉には力があるのです。イエスは名前ですが、キリストとは名字ではありません。救い主という意味です。神様の遣わした子ども、人々を幸せにする、勇気づける、元気づける、そういう救い主がキリストです。
 イエス・キリストという言葉が語られる時には力が働きます。イエス様に導かれた人がイエス様を信じるようになって、そして信じた人が語る言葉は、イエス様から借りている力を伝えることができるようになります。ペトロはイエス様が逮捕された時は一番最初に逃げてしまったのですが、復活のキリストに出会って、今はイエス様の力によって勇気と元気を分け与えることができるようになった、ということです。
 イエス様の心として用意されたバトン、タスキがペトロとヨハネに与えられた。だから、困っている人に対して、イエス様の真似をしていけばきっと、どんなことがあっても大丈夫だし、喜んで生きていくことができる。困っていることがあっても、それを喜びに変えていく知恵と希望が与えられるよ、だから安心だよ、大丈夫だよ、という言葉を語ることができたし、その人は受けることができた。きっとここで治されて元気になった人も、イエス・キリストという名前によってわたしはこんなにも嬉しく生きることができると、今度は他の人に伝えたかもしれない。そのようにして、二千年ずっとイエス様の言葉が多くの人たちによって手渡されてきた歴史の中に、わたしたちは生かされてしまっているのです。

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