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2013年5月12日 (日)

エフェソの信徒への手紙 4章1~16節 「成長」

 この手紙の背景にあるのは、おそらく教会内における分裂です。とりわけ人種の問題です。「隔ての中垣」が問題になっています。おそらくユダヤ人と異邦人との間の諍いが教会内で起こっているということでしょう。そこで、パウロは勧めます。「神から招かれたのですから、その招きにふさわしく歩み、一切高ぶることなく、柔和で、寛容の心を持ちなさい。愛をもって互いに忍耐し、平和のきずなで結ばれて、霊による一致を保つように努めなさい。体は一つ、霊は一つです。それは、あなたがたが、一つの希望にあずかるようにと招かれているのと同じです。主は一人、信仰は一つ、洗礼は一つ、すべてのものの父である神は唯一であって、すべてのものの上にあり、すべてのものを通して働き、すべてのものの内におられます。
 霊による一致というのは人間の側からのものではありません。まことの神は唯一であって、その神に治められているメンバーは、それぞれ与えられている恵みとしての賜物により応答していくのです。それぞれの役割が担われることによって教会という具体的なこの世における体が成長していくのだという、という促しが語られています。しかし、霊による一致は人間の側から作り出せると誤解して、教会を一つの色に塗りつぶしてしまうという方向性を持ちやすい誘惑があります。
 この世にあって教会は聖霊の力による「よそ者の共同体」です。「しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。」(フィリピ3:20)。この立場からすると国家の諸権力を相対化しうる視座が与えられるのです。このメンバーがキリスト者です。この世の価値観に埋没していくのではなくて、本国である天の価値観に従うのです。当然、「国家」の枠組みから自由であります。教会内において民族を超えていくことへの促しは、国家間の価値観を超えて具体的な人々が真心から結ばれていく可能性を示しています。
 やがて来られる主イエスの到来に至るまでという、いわゆる「教会の時」という限られた時間の中を教会は旅をする。そこにおいてイエス・キリストの与える一致という約束の力によって教会は維持され成長していくのだということです。

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