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2013年2月

2013年2月24日 (日)

罪の赦しを信ず 今野善郎

 1980年、神学校一年生の夏休み、日本山岳会学生部という各大学山岳部のメンバー6名でインド・ヒマラヤに登山に行った。登山7日目、キャンプ1(5,260㍍)の地点は豪雪であった。同伴のトムさんと私の入ったテントは緩やかな尾根にあり、私には雪崩は考えられなかった。私が外に出て定時交信をし、テントに戻ろうとした8時5分、「ズン」という鈍い音があり、両足をすくわれた。何が起こっているのかわからず、ただトムさんの入っているオレンジ色のテントが同じ速さですぐ脇を流れていた。気絶し、気がつくと私は絶壁の端30センチ手前で止まっていた。トムさんはそのまま250㍍の絶壁を垂直に墜死。表層雪崩に遭い、私は50㍍流されて止まっていた。
 九死に一生を得て帰国した私は、悔いが残った。生き残った自分が許せなかった。なぜ私が生き、すぐ横にいたトムさんが死んだのか。帰国して牧師を訪ね、牧師は「生き残ったのには、深い神様の計画がある」と慰めて下さった。33年近くたった今は、その通りと思えるが、当時は「深い神様の計画」という言葉で「神様」を持ち出して、自分の責任をごまかしているようで受け入れられなかった。罪にさいなまれ、悶々としたみじめな半年を過ごした。「罪と罰」の罰だった。
 その後、ひとつの思いが頭を離れなかった。「あの時生き残ったのは、神様の間違いではなかったか。本当は私は死ぬはずではなかったか。」。もう一度、ヒマラヤに行って、神様からの答えを聞かなければ生きて行けないと思った。神学校を辞めて、向かったのはネパール・ヒマラヤの7,893㍍峰だった。結果として、7,000㍍付近で力尽きて動けず、「こんなに静かに死んで行くんだ」、これが答えで、やはり死ぬはずだったんだ。そんな勝手な答えを出していたが、仲間に助けられた。翌日、下のキャンプに降りるとき、休んだ場所で頂上を振り返ったとき、それまで自分がひっぱっていた糸が切れたような音がした。「生きろ」という声が聞こえた。「あれは偶然に生きたのではなく、神様が生かしてくださった」と実感できた。
 それから不思議なことに気づいた。登山の時は小さな聖書を常時携帯した。あの雪崩の時もザックの上蓋の中に入れていた。遭難の時、沢山ものが雪に埋まったが、捜索に行った仲間によって、その聖書が回収され、また私の手元に戻ってきていた。聖書が私の代わりに絶壁から墜ちたことが、私の代わりにイエス様が墜ちて下さったのだと受け止めた。
 トムさんを守れず、私一人生き残った、その結果からは生涯逃げてはいけないと思っている。我が罪は我が前にあり。罪が帳消しになるのではない。でも究極的に、十字架の主が身代わりになって罪を償って下さった。それゆえに罪を罪として認め、逃げず、薄めず、自分をさいなまず、ただ赦された者として堂々と生きよと語りかけて下さっている主を私は信じている。

2013年2月10日 (日)

出エジプト記 2章11~25節 「道は備えられている」

 王女の養子となったモーセはエジプト人として40年間育てられます。しかし、出自はヘブライ人です。自分はいったいエジプト人なのかヘブライ人なのか、そしてこの世に神がいのちを与えた意味とか使命とは何か。その後、エジプトを逃れミディアンの地で暮らすことになりますが、この問いを抱えたまま、静かな平凡な、だけども厳しい羊飼いとしての暮らしを40年間黙々と続けます。「それから長い年月がたち、エジプト王は死んだ。」時まで。このミディアンでの日々は、隠遁の生活ないしは「引きこもり」の状態であったと読めます。全く歴史的な参与と言うものがない。しかし、この引きこもっているような平凡な暮らしの中にこそ、実は後の出エジプトに至る激しい生き方へと招かれる、そのエネルギーが蓄積されていくということではなかったかと思います。歴史において一見無駄に見える時間、そこに実は意味があるということを出エジプト記の著者は読ませようとしています。出エジプトの出来事はただ単に急に始まったわけではなくて、神が呼ばわるまでは引きこもるようにしている、その期間が大切なのだということです。
 本当に呼ばわれた時に働くためにも、この「引きこもり」の期間が、実はわたしたちの信仰のあり方にとっても重要ではないかと思います。リトリート(退却、後退)と一見思われるところにこそ積極的な意義がある。わたしは、その中心が礼拝だと思っています。今こうして集まっていますが、この時間は何をも積極的な生産物を出しません。けれども、この無駄な時間こそが必要だということです。自分が生活している現場、その働きから一旦退却するわけです。家庭や職場での役割を放棄する、学生であるならば学びの時を一回放棄して、ただただ神の前で無為であるということを受け止めながら、共に神の前に集まるという時間が必要だということです。その時があるからこそ新たな歩みに呼ばわれていく、そういう道筋があるということです。
 神ご自身は、歴史を見ておられ、またイスラエルの選びにおいて顧みておられる。出エジプトのためにはミディアンでの40年が必要であった。そのような性質をもった礼拝という出来事において、わたしたちはこの世から、一人ひとりの生活から一旦退却し後退する。この時間によってわたしたちは、もう一度自らの与えられた使命、呼ばわれている現場に帰っていくことができるのです。

2013年2月 3日 (日)

出エジプト記 1章22節~2章10節 「神を呼び求める」

 今日の聖書は、イスラエルの民はエジプトにおいて苦難が強いられるようになった頃、後の指導者となるモーセが誕生しエジプトの王女の養子となる物語です。この物語には、イスラエルの民の苦しみの姿が、泣いている赤ん坊としてのモーセの姿を通して先取られています。2:6には「赤ん坊がおり、しかも男の子で、泣いていた」とあります。これはやがてイスラエルの民がエジプトを脱出しなければならない状況である苦しみや辛さを象徴しています。これを神がイスラエルを見聞きして(3:7-10)、やがてカナンに導き上るのです。キリスト教詩人の八木重吉に次のような詩があります。

さて
あかんぼは
なぜに あん あん あん あん なくんだろうか
ほんとに
うるせいよ
あん あん あん あん
あん あん あん あん
うるさか ないよ
うるさか ないよ
よんでるんだよ
かみさまをよんでるんだよ
みんなもよびな
あんなに しつっこくよびな

 赤ん坊モーセの泣いている姿を、神を求める祈りだったのではないでしょうか。イスラエルの苦しみの中での祈りを、それに先立ち神は聴こうと待っていてくださるのだ、なおかつそれを決して放っておかれないのだと聖書は語りたいのです。
 このような赤ん坊の泣く姿に象徴される祈りが、わたしたちにとって決して他人事ではなくて、我が事として読むことが赦されていると、聖書は語りかけているのです。そして神は呼び求められることを待っていてくださるのです。
 ここには、今涙を流さざるを得ない、どんなに辛い状況にあっても、決して絶望することなく安心と平安へと導いてくださる神の意志を読み取ることができるのです。これを信じることができるかどうかに、わたしたちの信仰はかかっていると言っても大袈裟ではないでしょう。ですから、泣いている赤ん坊モーセのように、しつこくしつこくわたしたちは率直に神を呼び求めることが赦されているところにこそ幸いへの招きが確かであることを共々感謝したいと願っています。

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