ヨハネによる福音書14章8~17節 「真理の霊」
わたしたちは現代社会、日本的風土の中で<いのち>、あるいは死という出来事、苦しみという事柄について考えなければならない課題があります。突然襲ってくる親しい者の苦しみであるとか暴力的な死というものに対してどのように対していくべきか、についてです。東日本大震災を経たわたしたちは、未だ整理のつかないまま、そのような考察の途上にあろうかと思います。それは危機的な状況に関する事柄です。キリスト者はこの危機的状況というものをあえてイエス・キリストの招きにおける決断において身に引き受けていくのです。苦しい道であったとしても歩んでいかざるを得ない使命を帯びてこの世を旅する者だからです。
先在のキリストが受肉し十字架の贖いにおいて一切の人間の罪を担って救いの完成をし天に上られました。このイエス・キリストの救いの出来事とキリストが来臨のイエスとしてやって来られるという来たるべき日との間、教会の時をわたしたちは生きているのです。そこにおいてイエス・キリストの招きから決断へというものがどのようにして起こるのでしょうか。イエスに信じて従うという生き方はどのようなものでしょうか。この世にあってこの世の常識という一切を相対化しながら歩んでいくことができるのでしょうか。それを可能とするのは、弁護者ないしは真理の霊と呼ばれる働きです。真理の霊ないしは弁護者の働きは、イエス・キリストが神とお互いに内在しあっている関係をわたしたちにおいてイエス・キリストが内在することへと転化し、新しく平和に向かって歩みだす源泉となり力となるのです。それは他者との関係をとり結ぶことによって新しく何度でも生き直す力の源であるのです。
今や神の右に座しておられるイエス・キリストの働きとして弁護者ないしは真理の霊というものが与えられるのです。それによってわたしたち自身に信仰が起こされ与えられます。それは、わたしたちが「信仰」だと理解していたものとは違うかもしれません。わたしたちの作り上げた虚像から、実像のイエス・キリストの教え、戒めを守り、平和へと至る道筋に連れ戻されるのです。その道筋が弁護者ないしは真理の霊の働きであると思っています。
わたしたちが歩んでいく道ゆきにはいつもイエス・キリストは来てくださいます。弁護者、真理の霊として来てくださる。そのことを根拠にしながらわたしたちは絶えず祈りながら、あらゆる一切のこの世の出来事を相対化しながら主イエス・キリストの道を歩む者として整えられたいと願っています。
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