ルカによる福音書 18章1~8節 「正義を求め続ける」
今日はマレーシアを覚えての世界祈祷日礼拝です。マレーシアはアジアの中でも比較的安定している国です。海の向こう側の世界に対して歓迎して迎え入れる心というものを持っているのでしょう、歴史的に多種多様の民族・宗教・文化が共存しています。そしてさらに豊かな自然や資源があり、また観光も盛んです。工業も盛んで、アジア各国からの移住労働者が仕事を求めてマレーシアにやってきます。しかし豊かで仕事があり、お金が集まってくると必ずしもいいことばかりではありません。豊かさの陰には貧困や差別があるのです。そこでは人のいのちが尊ばれないということが起こってきます。そうした社会の歪みはより小さくされた人たち、子どもや女性、体の弱い人のところに重荷として痛みとして圧し掛かります。旧約聖書は、やもめを保護しなければいけないという教えを持っていますが、それがいつの間にか、お金に目がくらむ人たちが増えるにつれ軽んじられてしまうのです。当時は宗教的な指導者が裁判官でありました。神を信じている人たちでしたが、「人を人とも思わない、神を神さだとも思わない」思い上がった人が幅を利かせる社会があるのです。その中であきらめることなく何度でも祈るようにして訴え続けていくのです。正しいことは正しい、間違っていることは間違っている、と。神が願う正義を求めていくことが教会が考えている信仰です。神は困っている人たち、辛い思いをしている人たちの悩みや痛みや辛さをまず最初に聞いてくださって、そこから抜け出す口、逃げ道、歩んでいくべき道を用意してくださっている方なのです(出エジプト記3:7以下参照)。そういう方であるからこそ、あきらめずに祈り求めていくことができます。人を人と思わないような裁判官に対しても闘っていくことができるような粘り強い祈りの道を求めていくことができるのです。そうしたらより豊かな生き方ができていくし、「わたし」が生きているだけではなくて、「わたしたち」が喜んで生きていく道が用意されているのだ、そのように考えるのが教会の教えなのです。世界規模でものを考えて自分たちの住んでいるところで行動していくことが世界祈祷日の一つの目標です。マレーシアのことを覚え祈りながら、この日本という国でもやはり同じように正義でない悪に対して、今日の聖書のやもめのような態度で悪を正していき、人を人とも思わないような裁判官に対して抗議していくのです。そのようにして正義を求め続けていくことが、世界中にある教会がイエス・キリストによって結ばれているということを信じていく道なのです。
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