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2012年2月12日 (日)

コリントの信徒への手紙一 10章1~13節 「偶像を拒絶する」

今日の聖書を理解するためには旧約の出エジプト記の概略を知っておかなければなりません。エジプトにおいて奴隷の民とされていたイスラエルの、神によって立てられたモーセに引き連れられた旅の途上での信仰と不信仰、従順と背信の物語です。40年にも及ぶ荒れ野の旅の中で、しばしば民は不平をつぶやき、また偶像を作り上げるなど神に背くこともしばしばでした。しかし、その度ごとに絶えず神は配慮と助けによって民を守り続けたのです。エジプトから逃れる時には紅海を真っ二つに引き裂く様にして道を開き、雲の柱によって方向を定めさせ、行く道を備えたのです。エジプトでの肉鍋が恋しいと言えばマナやウズラを与え、水がない時にはモーセに力を与え、彼の杖が岩を打つと水が流れ、のどの渇きを癒したこともありました。苦い水を飲めるようにされたこともあります。この神の導きの象徴として岩がキリストなのであるとパウロは語ります。つまり、イエス・キリストの道が示すのは、神が神であることであり、その神は真実であるということです。その神の真実がキリストであるが故にこそ、今や逃れる道、出口が、どのような困難や苦難のただ中においても用意されているというのです。だから、キリストの信仰のゆえに、キリスト者はその方に向かって、今の状況から祈り求める道があるのです。それは祈りを待ち受けてくださるキリストがいることによって備えられていることが確実だということです。しかし、かつてのイスラエルが偶像礼拝から完全には自由でなかったのと同じように、自らの作り出した虚像に閉じ込められているのが人間の限界であり、現実です。にもかかわらず、ではなくて、だからこそパウロが強調するのは、その偶像=人間の作り出した様々な掟や便利さの影響に縛られずに、神の側からの働きかけに応えていく道が確かであること、ここに向かって感謝と祈りを生きることです。それが、イエス・キリストにおいて実現されていることから導かれ、日ごとに新しくされていくキリスト者の現実が用意されているということです。わたしたちは、ここに信頼していく幸いが与えられています。ここに信頼していくならば、どのような困難をも乗り越えていく道があり、耐えられない困難を神が備えているはずがないという安心を得ることができます。その根拠であるイエス・キリスト、この方にのみ信を置く生き方がすでに与えられていることに注目するところから、わたしたちの全生活が整えられていくことを共に信じたいと願います。

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