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2011年11月 6日 (日)

フィリピの信徒への手紙 3章20~21節 「思い出を整える」

わたしたちは、それぞれ故人への思い出を様々な仕方で抱えたままでいます。たとえば、会えない辛さ、充分に尽くせなかったというやり残し感や和解できなかった後悔などから完全に自由ではないからです。今日、わたしたちは、このような思いをそれぞれが抱えたままで、この場に集められています。わたしたちに求められているのは、自分を責める言葉を心に迎えることではありません。主イエスは、わたしたちの意識にも上らない心の奥深くにある悲しみや嘆きを、誰よりも深くご存知なのです。さらに、わたしたちの想いを十字架上の痛みと叫びにおいて、すでに担われてしまっているという事実から示されるのです。イエス・キリストは、ローマの価値観からもユダヤの価値観からも最も忌み嫌われていた十字架に磔にされ処刑されることによって、人間を覆い尽くすあらゆる闇の力、罪を担ってくださったのです。そして、死んでよみがえることによって、この世界と神の側の世界との仲介者となってくださったのです。やがて天に上られたのですが、天と地を繋ぐイエス・キリストの力は決して無効になってしまうことはありません。このような事情を受けとめるときに、わたしたちは、やがてわたしたちも神のもとに帰っていくべき運命にあることを踏まえながら、この世を責任的に生きていかなければならないことが確認されます。同時に、すでに向こう側に、神の側に移された人たちとの関係をイエス・キリストがとり結んでいてくださるという信頼の道が備えられているのです。故人と残されたわたしたちとの関係は今もなお生き続けているのです。会いたいという思いややり残し感を主イエス・キリストの神に向かって思いっきりぶつけてしまってもいいのです。故人へのマイナスの感情を神に向かって吐き出してしまっていいのです。神は聞き届けてくださいます。主イエスがその全能において受けとめてくださることは確かであると、わたしは信じています。これらの想いを祈りや嘆きの中で、とことん神に向かって投げかけていいのです。何故という疑いも、許せないという呪いさえも投げかけていいのです。しかし、そこが終着なのではありません。神の慰めの中、空虚さは満たされ、やり残し感はぬぐわれ、マイナスの感情は塗り替えられる時が、その先にあるのです。やがて、いつの日になるのか、神だけがご存知です。思い出や記憶が、ちょうどよいところに向かって整えられていくという信頼に生きることが、この世に残された者の責任です。

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