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2011年10月

2011年10月30日 (日)

ルカによる福音書 17章20~21節 「あなたがたの間に」

あなたがたの間にこそ神の国があるということは、「関係性」において神の国は表わされるということです。簡単にいうと、人と人との間には、いつも主イエスがいてくださって働いてくださっているのだということです。けれども、わたしたちには、それがいつも分かるとは限りません。それでも不思議な感覚で他者との心のつながりを感じることがあります。そんな時、そこに主イエスがいてくださって助けてくださろうとしているのだと思います。わたしたちの心を繋いでくださっているのです。今日の礼拝は、NCC、日本キリスト教協議会教育部のキリスト教教育週間のプログラムと連携したいと願って行なわれています。今日の献金から「平和のきずな献金」としてささげます。先程見た写真のアハリー・アラブ病院は五つの献金先の一つです。パレスチナはイスラエル(聖書のイスラエルとは区別します)によって侵略され、1948年にイスラエルが今の場所に建国されました。もともと住んでいたパレスチナ人たちは住むところを奪われ、他の国に逃げていく人たちも大勢いました。「パレスチナ難民」と呼ばれる人たちです。60年以上にわたるイスラエルの支配によって、パレスチナは壁に囲われ、自由が奪われています。イスラエルという国の中にパレスチナ自治区と呼ばれるパレスチナ人の居住区が北側と南側に二か所ありますが、イスラエルは入植といって自分たちの家を建てたりして侵入を続けています。ガザ自治区はイスラエルの地中海沿岸にあります。パレスチナは、絶えずイスラエルの爆撃などの武力攻撃にさらされています。イスラエルの戦車もヘリコプターも色々な人を殺す武器はアメリカの協力で手にいれた最新式の最高の性能をもつものばかりです。その攻撃の中にただ中にあって、人のいのちを守り続けている、アハリー・アラブ病院を覚えたいと思います。どうして、パレスチナが今のようになったかを説明する時間が今日はありません。どうか、それぞれが中東の歴史に関心をもって学んでくださるとありがたいです。第二次世界大戦前は、パレスチナ人もユダヤ人もキリスト教徒もイスラム教徒も、あの土地で隣人として仲良く暮らしていたのです。暴力的な仕方でイスラエルができてから 60年以上たっていますから、その事実を覚えていて生きている人たちは少なくなってきています。でも、かつて平和に暮らしていたことが語り継がれていくなら、それは仲間として暮らしていける世界を求める記憶へとつながっていくことができると、わたしは信じたいのです。そのような世界を願い、パレスチナのガザで日常的にイスラエルからの爆撃の中で医療活動を続けているアハリー・アラブ病院の働きに心を寄せながら、神の国の実現を共に祈りましょう。

2011年10月23日 (日)

創世記 1章1~5節 「光あれ」

神はこの世界を創り、よしとされました。美しいと判断されました。神の想いの反映として天地創造があったのです。しかし、人間は利権に誘惑されて、より深い混沌へと道を踏みはずしてしまった。堕落して軋みや歪みが世界大規模に膨れあがってしまっているのが現代社会なのではないでしょうか。この世界の情況に対して「光あれ」と告げるのは、この世界は、確かに絶望に満ちていることは紛れもない事実であるけれど、絶望渦巻く混沌を、神は放ったままにはなさらないことの宣言です。神の第一声、「光あれ」という言葉にはすべてを包み込む豊かさがあります。この天地創造の光とは、第4日目の創造で語られます。太陽や月や星のようなものではありません。神が言葉で呼びかけることによって初めてもたらされる、神の意志の表れとしての生命の基本、秩序の基本です。この世界は混沌に充ち溢れ、絶望に満ち、希望のかけらさえ完全に失われているように見えるかもしれません。しかし、それでもこの世界は神の言葉の呼び出しによって創られたのだから、神の想いに立ち返れとの促しがあるのです。その立ち返りを促す言葉が、「光あれ」なのです。この世界は神の言葉「光あれ」によって創造され、よきものとして積極的に肯定されたものである、ということです。ここから、全てを見直すように求められているのです。「光あれ」という神の言葉は、イエス・キリストとして、今日、わたしたちに向かって語られています。イエス・キリストは、この混沌の世界にあって、わたしたちの目には見えないけれど、わたしたちの根源を照らす光なのです。混沌に秩序をもたらし、闇に光をもたらす、希望の光、救いの光、人間がそれによって生きることが赦される土台のような光がイエス・キリストであることを共に感謝をもって確認したいと思います。「光あれ」という言葉のもたらす現実は、パウロにおいてはコリントの信徒への手紙二の4章8~ 15節から語られている現実を、わたしたちの時代においても乗り越えさせる十字架のイエス・キリストの力として受けとめられます。現代社会の混沌のただ中にあって、教会の持つ価値観は揺らぐことがないのです。なぜなら、今日もイエス・キリストは揺らぐことなく働き続けておられるからです。ここに「光あれ」という言葉の成就であるイエス・キリストによって、この時代の囚われからの解放の言葉が告げ知らされることによって、わたしたちの<いのち>は全面的に肯定されてしまっているのです。

2011年10月16日 (日)

ルカによる福音書 19章11~27節 「信頼して待つ」

今日のテキストはシリア・パレスチナの歴史的な状況を踏まえています。当時、シリア・パレスチナはローマ帝国という非常に強大な国の、いわば属国でした。王位を頂くためには、ローマに行ってローマ皇帝(または代表者)から認証してもらわなければなりません。この喩え話の前提はおそらく、ヘロデ大王の息子の一人、アルケラオスがローマ詣でをした時のことです。アルケラオスはヘロデ大王よりも相当能力が劣っており民衆から嫌われてもいたので、ローマ詣でに際し、人々がローマへ代表を送って相応しくないという嘆願をしたのです。結局ヘロデ大王の息子たちは四人で支配地を分割する分封領主となり、父の代より低い地位になりました。ライバルの二人がローマ詣でをすれば、どちらか一方が王位を受け、他方は権力を持たずに戻ってくることもあるわけですから、僕にとっては自分の主人が勝者としてもどってくるのか敗者としてなのか、という一種の賭けになるわけです。預かったムナを増やすことは、主人の側につくという立場の表明であり、勝者としての帰還に賭けることです。反対に、敗者と予測した僕は一ムナに手をつけず、それゆえに主人に忠実でないと非難されるのです。今日の喩えは、王の位を受けて帰ろうとしている人にイエス・キリストご自身を喩えて読ませようとしています。エルサレムでの十字架の死に向かう主イエスを、やがて来られる来臨の主イエスとして待つのかどうか、態度を問うのです。わたしたちがそれぞれ置かれている時代状況というものをイエス・キリストの福音という出来事において分析する、祈りつつ判断していくことが求められています。信頼して待つ姿勢で来たるべき主イエス・キリスト、その方の前に自分たちが相応しい僕であるのかどうなのか、お誉めに与ることができるような忠実な僕であるのか。それがたとえ小さな出来事一つひとつであって相応しいのかどうかをキリストの前で自問しつつ、この世を生き抜く、旅する共同体としての教会の役割なのではなかろうかと思います。一ムナをそれぞれ一人ひとりが貸し与えられています。貸し与えてくださった方への信頼において、それをどのように用いていくのか、その一ムナがその人の中で相応しい実を結んでいくかどうか、ということが問われているのです。来たるべき日に来られる主に対する忠誠心が問われているのです。この世に残されている者、この世に命が与えられている限り、その人はイエス・キリストから貸し与えられている責任から逃れることはできないのです。その責任に応じて祈りつつ歩んでいけ、すでにそこには主イエス・キリストが共におられるのだから安心せよ、という言葉を今日わたしたちは共に聞くことが赦されているのです。

2011年10月 9日 (日)

使徒言行録 20章17~38節 「言葉が多すぎます」下郷亜紀神学生

私は神学校の実習で、横浜の寿町での炊き出しに通うようになり、また四月から災害ボランティア活動に参加しています。私は「あなたの罪悪感の代わりに東北に行く」と知人に訴えかけ、軍資金を募り、東松島市を中心に何度も往復しました。津波災害とは、不潔で臭いものであり、復興とは、その不潔で臭いヘドロの粉塵に塗れることを意味し、「復興をお祈りします」と口で言うことではありません。「人手が欲しい」と痛切に訴える被災地の声を、教会で説明しても「できることは、募金と祈りと節電だけ」という答ばかりでしたが、寿の人たちは興味を示してくれました。寿は年中物資がくるので、新品の夏物などがすぐ集まり、また解体業に携わる人からの助言もあり、連携が取れたことは幸いでした。被災地ではお寺の掃除をよく任されましたが、クリスチャンのボランティアの中には戸惑う人もいました。お坊さんは葬式や四十九日でてんやわんやで、お墓まで手が回らない。お骨が散乱し、墓石の上に船や車が載っている。人は悲惨な状況を前にすると「人間のおごりに対する神の怒りだ」とか、語りたくなりますが、作業をすると、人間だけでなく、根こそぎ流れてくる木々や、蜂の巣や、犬や、猫や、魚たちも被災していると判り、自然と言葉少なになります。被災した方々も、私たちが何か働いて初めて重い口を開いてくれます。災害時には、自然とボランティアが発生し、独特のユートピアが生まれるそうですが、神の国とはそのようなものかもしれません。賃金が絡めば、のろい人や、辛い仕事率先してやらない人は、腹立たしいでしょうが、ボランティアは全員等しく日当が出ないので、イライラしない。困っている人を手伝いたいという思いだけが共通で、信仰は無関係です。私はお寺を掃除していて、ふと思いました。人と人との間にあるものが神で、人が隣人に手を伸ばす時に、そこに神は存在する。だから目に見えないし、像にしてはいけないのではないか。故S・ジョブズ氏の座右の銘は「今日が最後の日と思って生きろ、いつかそれは本当のことになるだろう」だったそうですが、「悔い改めよ、神の国は近づいた」とは、そういう意味ではないか。明日、死ぬと判っていたら、誰も喧嘩しない。世界の終り、終末をいつに定めるか、というのは大切です。先月、このボランティアを通じて知り合った人と結婚しました。避難所の前で皆が祝ってくれました。私たちが掃除した畑で取れた野菜が食卓に上り、子供たちが軽トラックの荷台で「僕らはみんな生きている」を歌い、家族を失ったお弁当屋さんや床屋さんが腕を振るってくださいました。ボランティアの残したメッセージカードの1つに、「受けるより与える方が幸い」を見つけました。この言葉は、主イエス御自身が言っていた、と書かれていますが、福音書に記載はありません。言葉ではなく、キリストは、実際に隣人に手を伸ばしていたのだと思います。

2011年10月 2日 (日)

ルカによる福音書 15章11~32節 「神は待っておられる」

今日の聖書に登場する「父」の二人の息子に対する態度は神が人間に対する態度の喩えとして読み取ることが求められているのではないでしょうか。この弟の放蕩に身を委ねて「父」の存在を忘れていく姿も、いつも一緒にいるのに、そのかけがえのなさに気がつかない兄の姿も、この兄弟の姿において表わされているのは、教会における、わたしたちの姿です。キリストと信じられている主イエスこそが、わたしたちといつも一緒にいてくださる方であり、わたしたちが主イエスを見失ってしまう時にも絶えず探し続けてくださっており、向かうべき方であることに気が付くことを飽くことなく絶えず待ち続けていてくださる方なのだということです。兄に対しても「父」は同じ愛を愚直に表明しています。「子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。」と「父」が語るとき、「いつもわたしと一緒にいる」ことの有難さを兄は見失ってしまっているのです。この怒る兄に対してなだめ続ける「父」の姿があります。この「父」の振る舞いは、この世の「父」の常識からすれば、非常識で「ダメ親父」であるに違いありません。しかし、この喩え話を語っているのが、主イエス・キリストであることが重要です。しかも、この主イエスは十字架のキリストなのです。弟の放蕩に対しても、兄の正しさゆえの頑固さに対しても、「ダメ親父」のような、愚かさと無力さとを晒し出すようにして待ち続けている方が十字架の上から語りかけてくださっている言葉として、わたしたちは今日、この「父」を見上げるように促されているのです。人をダメにしてしまうかもしれないほどの、愚かさと無力さにおいて表わされている「父」の愛、しかも、底が抜けるほどの愛によって、今のわたしたち一人ひとりの存在それ自体が支えられ、守られていることに気づかされていくのではないでしょうか。今日の物語に耳を傾けることが赦されるなら、ここに神の全能において、誰彼一人欠けることなく、主イエス・キリストの招きが確かであることに気が付くことで、わたしたちの<いのち>が「死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。」との語りかけを聞くことから感謝へと促されているのではないでしょうか。それゆえ、主イエスの神によってわたしたちの<いのち>という存在が「祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。」との招きを受ける幸いに与ることができるのです。イエス・キリストの神は、わたしたちを今日も待っておられるのです。

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