« ルカによる福音書 19章11~27節 「信頼して待つ」 | トップページ | ルカによる福音書 17章20~21節 「あなたがたの間に」 »

2011年10月23日 (日)

創世記 1章1~5節 「光あれ」

神はこの世界を創り、よしとされました。美しいと判断されました。神の想いの反映として天地創造があったのです。しかし、人間は利権に誘惑されて、より深い混沌へと道を踏みはずしてしまった。堕落して軋みや歪みが世界大規模に膨れあがってしまっているのが現代社会なのではないでしょうか。この世界の情況に対して「光あれ」と告げるのは、この世界は、確かに絶望に満ちていることは紛れもない事実であるけれど、絶望渦巻く混沌を、神は放ったままにはなさらないことの宣言です。神の第一声、「光あれ」という言葉にはすべてを包み込む豊かさがあります。この天地創造の光とは、第4日目の創造で語られます。太陽や月や星のようなものではありません。神が言葉で呼びかけることによって初めてもたらされる、神の意志の表れとしての生命の基本、秩序の基本です。この世界は混沌に充ち溢れ、絶望に満ち、希望のかけらさえ完全に失われているように見えるかもしれません。しかし、それでもこの世界は神の言葉の呼び出しによって創られたのだから、神の想いに立ち返れとの促しがあるのです。その立ち返りを促す言葉が、「光あれ」なのです。この世界は神の言葉「光あれ」によって創造され、よきものとして積極的に肯定されたものである、ということです。ここから、全てを見直すように求められているのです。「光あれ」という神の言葉は、イエス・キリストとして、今日、わたしたちに向かって語られています。イエス・キリストは、この混沌の世界にあって、わたしたちの目には見えないけれど、わたしたちの根源を照らす光なのです。混沌に秩序をもたらし、闇に光をもたらす、希望の光、救いの光、人間がそれによって生きることが赦される土台のような光がイエス・キリストであることを共に感謝をもって確認したいと思います。「光あれ」という言葉のもたらす現実は、パウロにおいてはコリントの信徒への手紙二の4章8~ 15節から語られている現実を、わたしたちの時代においても乗り越えさせる十字架のイエス・キリストの力として受けとめられます。現代社会の混沌のただ中にあって、教会の持つ価値観は揺らぐことがないのです。なぜなら、今日もイエス・キリストは揺らぐことなく働き続けておられるからです。ここに「光あれ」という言葉の成就であるイエス・キリストによって、この時代の囚われからの解放の言葉が告げ知らされることによって、わたしたちの<いのち>は全面的に肯定されてしまっているのです。

« ルカによる福音書 19章11~27節 「信頼して待つ」 | トップページ | ルカによる福音書 17章20~21節 「あなたがたの間に」 »

創世記」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 創世記 1章1~5節 「光あれ」:

« ルカによる福音書 19章11~27節 「信頼して待つ」 | トップページ | ルカによる福音書 17章20~21節 「あなたがたの間に」 »

無料ブログはココログ