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2011年6月19日 (日)

使徒言行録 2章14~21節 「神さまを呼ぼう」

今日の聖書でペトロは、ここで二つのことを言っています。「ここで起こっているのは、酔った人たちの姿なのではありません。むしろ、目覚めていく姿なのです」ということ。「ここで起こっていることは、『神は言われる。終わりの時に、/わたしの霊をすべての人に注ぐ。』」と旧約聖書のヨエル書に書かれていることそのものなのだ、ということ。「すると、あなたたちの息子と娘は預言し、/若者は幻を見、老人は夢を見る。わたしの僕やはしためにも、/そのときには、わたしの霊を注ぐ。すると、彼らは預言する。」と。 聖霊が注がれると、「若者は幻を見る。」ここでの幻とは、将来に対する希望や未来を受け入れる勇気のことです。将来が不安な若者が、これからの時代、どんな困難が待ち受けていようとも聖霊の力を信じていくことで乗り越えられるということです。また、「老人は夢を見る」とは、何十年もずっと神さまに守られてきた、辛いこともたくさんあったけれど、守られていたから今ここにいるのだと感謝した時、今までの辛いことではなく、楽しかったこと嬉しかったことばかりを思い出して、その心に支えられて、残された日も同じように守られ生きていくのだという安心感に満たされることです。また、お金持ちに雇われて働くような身分の低く、そのため、言うことまで信用されない人たちが、聖霊の力によって神さまからのメッセージを堂々と語る力が与えられるということです。 このように、全ての人々が主イエスからの力を聖霊によって降り注がれたことで、勇気づけられ元気づけられている今、ここに神の働きがあるのだというのです。それが一人ひとりという個人だけの体験ではなくて、教会という集まりの中に起こっているのだということです。  この経験をする人たち一人ひとりには、主イエスからの聖霊の働きが与えられているのだから、このことを感謝して、「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」ことを信じましょうということです。「主の名」は、「イエスさま」と読み替えることができます。主イエスの名前を呼んでいくこと、神を呼んでいくことは、それぞれ一人ひとりが今聖霊の働きに与っていることへの感謝の気持ちを表す、一番はっきりした神様への答え方です。「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」つまり、主イエスの名前を呼び続けていくときには、助けがあるということです。どんな困ったことや悩みがあっても解決していくことができる可能性に対して、いつも開かれているということです。それを一人ひとりの心の中に閉じ込めてしまうのではなくて、「わたしたち」という教会の関わりの中でこそ、できていくのだという約束が、ここにはあります。「主の名を呼び求める者は皆、救われる。」お互いにイエスさまの名前を呼び続けてごらん。そうすれば、聖霊の力が働いてあなたの言葉や心はどんどん開かれ広がって、他の人とつながって、孤独ではないことがわかってくる、ということです。そのことがイエス・キリストの神の願いだろうと思います。

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