ルカによる福音書 7章1~10節 「信頼に生きる」
百人隊長が大切にしている部下が死にかかるほどの病になっているので何とか助けてほしいと使いに託します。この百人隊長は、主イエスがユダヤ人であり、ユダヤ人は異邦人との交わりを嫌うことを知っていたのでしょう。遠慮して、自分で直接話をせず、知り合いの長老たちに助けを伝えるようにしたのです。 そして、主イエスとその一行が百人隊長の家に近づくと、今度は友人が登場して次のような言葉を伝えるのです。「主よ、御足労には及びません。わたしはあなたを自分の屋根の下にお迎えできるような者ではありません。ですから、わたしの方からお伺いするのさえふさわしくないと思いました。ひと言おっしゃってください。そして、わたしの僕をいやしてください。わたしも権威の下に置かれている者ですが、わたしの下には兵隊がおり、一人に『行け』と言えば行きますし、他の一人に『来い』と言えば来ます。また部下に『これをしろ』と言えば、そのとおりにします。(6-8節)」 すると、10節「使いに行った人たちが家に帰ってみると、その部下は元気になっていた」。 事を成す言葉への信頼こそが、死につつある者さえも元気にしてしまう、権威と力ある言葉なのだということなのです。ただし、誰彼の言葉ということではなくて、主イエスの言葉のみにまことがあることへの信頼、信への促しを読み手に印象付けようとしているのがテキストの意志です。 自分の部下に対しての直向な気持ちに正直であることへの主イエスの導きと働き、その言葉の権威と力に委ねるとき、部下である奴隷が元気になったように、死というものを越えていく権威と力への信頼に生きる道が備えられていくのだという約束が、ここに語られているのです。 わたしたちに求められているのは、今日の百人隊長の態度に示されている、直向な主イエスへの権威と力に満ちた言葉への信頼に生きる姿勢です。 主イエスの求めておられる生き方とは、神の言葉に打たれることで、「わたしの」エゴイズムが解かれていき、自分の命や意志を相対化しつつ、謙虚さに生きることです。わたしたちは、かの百人隊長と同じように、主イエスの神への委ねにおいて起こってくる新しい世界観の約束のうちにあります。この主イエスの言葉の権威と力に委ねていく生き方は、精神的なことや内面的なことではありません。わたしたちの今生きていることが具体である以上、充分政治的であり、現実的な事柄とのかかわりにおいて、委ねつつ生きるあり方が求められています。 教会は、その時々の時代の中で、イエス・キリストの出来事に信頼して生きていく使命が与えられているのです。
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