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2011年2月

2011年2月27日 (日)

マルコによる福音書6章34~44節「分かち合う世界へ」(世界祈祷日を覚えて)

今日はチリという国のことを覚えて礼拝を守っています。わたしの場合、チリというと思い浮かぶのは、ビクトル・ハラというシンガー・ソングライターです。自由を求めて、人々を勇気づけ慰め、元気づける歌を作り歌う人でした。1970年、チリ人民連合によってアジェンデ政権が成立して自由な国へと変わりかけていたのですが、1973年9月11日、アウグスト・ピノチェト将軍の軍事クーデター(チリ・クーデター)によってアジェンデ政権は壊されて、多くの人々が殺されます。ビクトル・ハラも軍に逮捕され、チリ・スタジアムに連行されます。それでも、その途中でも歌い続けたようです。やがて兵士に地下に連行され、銃で殺害されました。彼の歌が自由を求める人たちの心を勇気づけ、国の悪事を正義へと変える力を持ち、軍事政権が揺らぐのをピノチェット将軍は恐れていたのだと、わたしは思います。ビクトル・ハラの代表作『耕す者への祈り』という歌には、このようにあります。「俺たちを取り巻いている貧乏は もういやだ もういらない沢山だ 正義と平等を作りだそう 谷間吹く風よ 吹きまくれ 一緒に行こうさあ兄弟よ 今こそ明日になりうる時だ」と。大地は豊かなのに、貧しさを強いられるのは、横取りして独り占めしようとする勢力があるからです。このような状態は不正義と不平等な社会なのです。だからこそ、ビクトル・ハラは「正義と平等を作りだそう」と歌によって訴えかけるのです。その歌を喜んで聞き、一緒に歌う人たちには、「正義と平等を作りだそう」とする心が共鳴して、耕されていき、祈りながら、行動へと導かれていくのです。彼のような働きや、生き方や生活のレベルを変えていくことは、誰にでもできることではないかもしれません。しかし、わたしたちには、わたしたちの仕方で、自由や平和を求めて、歌ったり、祈ることはできるはずです。「わたしたちはパンをいくつ持っていますか」と先程語られました。「パン」はこの場合、色々な意味をもちます。ビクトル・ハラのように歌を歌うことかもしれません。また、食べ物や洋服などの生活に必要な物、あるいは車椅子を押すことであったり、淋しそうな人に話しかけることであったり、わたしたちには、色々なわかちあいができるのです。主イエスは、自らをもって、分けると増えて、みんなが十分に食べられて満足できるという奇跡によって分かち合う世界に向かう方向を示してくださいました。世界は不平等に満ちています。でも、主イエスを信じて従っていくなら、いつの日にか、すべての人々が満足するだけ食べられて、笑顔で暮らせる日がやってくることを心から信じ、祈りましょう。

2011年2月20日 (日)

ルカによる福音書 8章4~15節「前進」

今日の種蒔きのたとえは、マルコによる福音書の形の方が、より古い伝承によるものなのですが、そのマルコ福音書も後半部分では、教会の実情を弟子が聞いているのに分からないことを批判し、指摘しながら、イエスに対して傾聴していく姿勢が求められています。  歴史上のイエスにより近い姿を想定してみると、そこに現れてくるのはイエスの発想の根底にある楽天性です。種は蒔かれたら豊かな実りをもたらすに決まっているじゃないか、ということです。確かに、例外として3粒ばかりは実らないこともあるだろうけど、ということです。  つまり、人の目から見れば、種という小さな頼りなさげな存在が、例外として鳥や石や茨という困難に遭うことがあるかもしれないけれど、神の国とその支配は大きな実りをもたらす豊かさへの約束に満ちているのだから、小さな失敗などにくよくよしたり、思い煩ったりしないで安心して生きていけばいいという、人生肯定観に溢れたたとえです。  とはいうものの、初期の教会はすでに、その主イエスの楽天的な人生肯定観を失いつつあり、思いどおりにならない教会の現状に対する不満や苛立ちのようなものから自由ではなかったのでしょう。蒔かれた種は豊かな実りをもたらすということへの疑いや無理解が頭をもたげてきたのです。実る約束に満ちた種よりも、実らない種の方に視点の重点が移っていったのです。  そして、種に象徴される神の言葉と、それを受ける土地としての人間の関係として捉え直すことで、これからの教会の歩みの方向性を苦闘しながら模索する教会の姿が浮かび上がってきます。この、思いどおりにならない教会の現状とは、すでに福音書が書かれた1世紀後半から現代に至るまで、教会の抱え続けている問題です。この問題に解答を与えようとして苦闘し続けていく教会の課題は古くて、同時に新しいものなのです。  そこで、今日の聖書から示される重要な点は、種蒔きを教会において、どのように位置づけるか、だろうと思います。  種に象徴される神の言葉としての教会の宣教が、客観的な成果として表面化しにくい教会の姿を読み取ることができます。そこで、あくまで宣教の主体は神の言葉のみ、という信仰的立場が示されています。「後から悪魔が来て、その心から御言葉を奪い去る」力、「試練に遭うと身を引いてしまう」脆弱な信仰、「途中で人生の思い煩いや富や快楽に覆いふさがれて」しまう状態、これらの御言葉から人々が離れ、遠ざかることの前提には、主イエスが預言者たちと同様に時代から見捨てられたように、この世の価値観を作り出す偶像や偶像のようなものによって捨てられていった事実があります。  神の言葉たる教会の宣教の言葉を一旦受け入れても、後に拒絶していく人たちの背後には、その時々の時代の価値観や思想、あるいは神ならぬもの、神を装うもの、富、お金、権力とか権威、名誉などなど、人間の自尊心をくすぐり、自分が自分が、という満足感へと導く、あらゆる誘惑がこの世には存在しているのです。  だからといって、彼らの価値観に合致するような言葉を教会は種蒔く者の責任として語るべきではありません。十字架のキリストをのみ語るべきです。教会は教会に相応しい言葉を祈り求めのただ中において、宣教の言葉を織りなしていくのです。  パウロを引用するならば、「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのお陰で、今の恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかる希望を誇りにしています。そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。希望はわたしたちを欺くことがありません。わたしたちに与えられた聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからです。実にキリストは、わたしたちがまだ弱かったころ、定められた時に、不信心な者のために死んでくださった。(ローマ5:1‐6)」  キリストの十字架上の死からの御言葉は、「苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生む」ようにして、わたしたちを絶えず新しい道へと引きかえさせようと語り続けていてくださいます。これを悔い改めと呼びます。悔い改めが御言葉によって、呼び起こされるのです。生き方の方向を変えていくことへと促されていくのです。  この道に従って歩んでいくならば、どのような誘惑からも逃れることが約束されています。 「良い土地に落ちたのは、立派な善い心で御言葉を聞き、よく守り、忍耐して実を結ぶ人たちである。(ルカ8:15)」とある、その一人ひとりとして、主イエス・キリストは、わたしたちの歩むべき道を先んじていてくださるのです。  教会は、種を蒔くことによって神の国という主イエスの思いのこもった世界を形づくっていくという志が与えられています。これは、人間の関係性をもう一度問い直していく作業と別のことではありません。  2月16日(水)に友人のM牧師の葬式がK教会においてなされました。司式は彼女が受洗した当時K教会牧師であったY先生によってなされました。式辞の中で彼女の人となりが語られましたが、その中で今日のテーマに関するエピソードを紹介したいと思います。彼女は高校生のころから教会に通い始め、寿地区の活動などにも精力的な働きをなしていました。あるとき、寿の通信の中に、「わたしたちも障害者の人たちと共に」という言葉があり、そのことに怒った彼女はその通信を全面回収せよと強く迫ったというのです。Y先生は編集委員長をされていたので腹がたったそうですが、なぜそれが問題だったのか。「わたしたちも障害者と共に」と言ったとき、その「わたしたち」に「障害者であるわたし」が含まれていない、という指摘でした。そのような「わたしたち」とはと問い続ける中で、そこで、Y先生はMさんの思いを受け止めようとし、「わたしたち」という関係性について学び直したというのです。  そこからY先生は、今日、わたしたちは、使いなれることで感覚が鈍くなっている、この「わたしたち」という関係を問い直し、より広く人と人とがつながっていくべき「わたしたち」という関係のありようを、誰かを排除することによって成立する「わたしたち」なのか、包括的に捉えようとする「わたしたち」なのか、という問いとして受け取ったというのです。  教会の種蒔き行為とは、この「わたしたち」という関係をより包括的に捉え直す自己吟味を伴う作業のことだろうと思います。主イエスが「わたしたち」と括ったのは誰であったのか。常に社会の中で小さくされた人たちの傍らに立ち続けた主イエスの福音を語る者として、教会はどこに立つべきなのか。  今日の礼拝後に行なわれる、社会委員会と伝道委員会共催のアフタヌーンコンサートも、その種蒔きの一つの試みと言えると思います。教会の外から、どれ程の方が足を運んでくださるか分かりませんし、教会に直接つながる人が、与えられるという保証は、どこにもありません。しかし、たとえば、今回のテーマである「日本における難民政策」について、思いを寄せる機会をつくること、それは常に弱者、少数者の側に身を寄せつつ、その立場に立ち続けた主イエスの福音を宣べ伝えること、種蒔きに他ならないと思います。わたしたちは、普段、苦しんでいる「難民」のことなど、頭の隅にも置かず生活できてしまっています。今、「わたしたちは」と言ったそこには、すでに「難民」は入ってないわけです。そこに種が蒔かれるのです。同時に、このことを教会の外側に向かって伝えたいと願い、お誘いするのです。そういう種蒔きでもあるのです。そして同時に、音楽という栄養でわたしたち自身を豊かな土壌にしていく、そういう種蒔きでもあるのです。カラバオの会の植田善嗣さんによる講演と丸尾めぐみさんの音楽によって、わたしたちが、より広い意味での「わたしたち」へと変革されていく可能性に開かれている、ひとつの証であり、ひとつの試みでもあるのです。 社会の不公平や差別について学ぶ機会は学習会や集会など大小様々、たくさんあります。しかし、関心のある人たちは、そこに足を向けても、そうでなければ全くつながりをもつことができません。そうであるなら、そこを何とかしたいと考え、祈るただ中で、わたしたちは、種蒔きをするのです。神ご自身がイエス・キリストにおいて種を蒔き続けていることに倣って、忍耐し続けていくところに、差し当たっての、わたしたちの教会の前進の課題があるのです。  前進し続ける主イエス・キリストに倣う教会として、種蒔く教会として、忍耐を学びつつ歩んでいくときに、今は分からなくても、御言葉の偉大な働きに近付いていくに違いないことを信じることが赦されているのです。

<アフタヌーンコンサート開会の祈り>
無から生命を呼び出してくださる全能の神。 これからのひと時を神の祝福のもとにおいてください。 わたしたちの暮らすこの社会は暗闇の力によって、より弱く小さくされた人々がより貶められる仕組みをもっています。 主イエス・キリストは、2000年前のシリア・パレスチナにおいて、友となるべく、この世においでになりました。 マタイによる福音書の証言する主イエスの誕生の物語は、主イエス自らが「難民」として誕生されたとあります。このようなわけなので、主イエスは「難民」の置かれた状況に寄り添う方であることを改めて思い知らされています。 その主イエスは、「平和をつくりだす者は幸い」と宣言しつつ、差別や抑圧、偏見という不正義に対して闘われました。 この主イエスの思いを今のこととして、わたしたちの心に刻みつけてくださいますか。 今日は、良き講師と良き演奏家が与えられ、講演と演奏が共に響き合うことを通して、「日本における難民政策」について学ぶときが与えられました。ありがとうございます。 音楽の力と言葉の力によって、難しい課題を一人ひとりの心の中に浸みわたらせてください。そして、この世に暮らすわたしたちの責任を明らかにし、神の前に相応しいあり方を模索するものとしてください。 より小さくされている生命に向かって、キリストに倣うことで隣人となる道を示してください。 この会の終わりまで、神の守りのうちにおいてください。 開会にあたり、主イエス・キリストの名前によって祈ります。     アーメン。

2011年2月13日 (日)

ルカによる福音書 6章1~5節「自由」

7日目に働いてはならないという安息日の律法自体は本来悪いものではありません。ここで問題視されているのは、その律法が「主義」に解釈されながら監視社会が形成されつつあったことなのでしょう。  あるとき弟子たちが歩いていたら麦畑があって、そこで麦の穂を摘んで、籾殻を剥がして出した麦を口にした。それを見た律法学者が、これは収穫と脱穀という労働だ、安息日に働いてはならないとう掟を破った(出エジプト20:10)とケチをつけたのです。律法違反だというのです。それに対してイエスが答えたのは、ダビデの昔の話のことです(サムエル記上21章参照)。 麦の穂を摘んで手で揉み解して口にするというのは、空腹を満たす行為ではなく、口寂しさを紛らすという程度のもの、今で言うとチューインガムみたいなものです。それに対して律法違反じゃないかとケチをつけたことに対し、イエスは、あなたたちの大好きなダビデはどうだったか、と、いわば皮肉のようにして引用するのです。神の子である「人の子」イエスというものが安息日の主なのだから、それらの律法というものを超えていく、超越していく権威をもっているのだということです。もともと律法は人の権利や弱者に対する配慮というものをもっているのです。しかし、それが律法「主義」というものになると、お互いがお互いを監視し合うシステムに使用されるということがあるのです。 近代から現代の日本の中で見てみると、法がわたしたちを自由にするものか、というと、むしろ、人を縛るものとして機能しています。  そういう中でイエスのあり方からするならば、それらのシステム、まとめ上げる、あるいは排除する仕方ではない方向、つまり、法というものを相対化しうる視座というものを各自がもてばいいじゃないか、ということです。「人の子は安息日の主である」というのは、安息日律法に代表される「法」というものが、より弱きもの、より小さき者を排除する、あるいは迫害する、差別する、より貶める、あるいは傷つけ、殺害に至るような、そのような機能を果たすのであれば、それに対する抵抗をしてよろしいという、主イエス・キリストの意思表示です。 「人の子は安息日の主である」という言葉は、法というものを相対化しうる視座をそれぞれがもちうるかどうか、という問いであり、それが今日の聖書の主眼であろうと思います。  教会が教会である以上、「主イエスが安息日の主である」ことに集中すべきです。主にあって法というものを相対化しうるのです。主イエスに倣って、教会員一人ひとりも安息日の主として振る舞っていくことへと促されていくのです。その方向、その途上にあるのが、この世における旅人としての教会なのです。

2011年2月 6日 (日)

コリントの信徒への手紙一 2章1~5節「同伴者イエス」

 パウロは伝道旅行を続けていましたが、決して順風満帆だったのではなく、苦難の連続であったのです(Ⅱコリント11:23b‐27参照)。この旅の中で、キリストを信じる人たちは確かに増えつつあったのですが、アテネからコリントに辿りついたときには、パウロは心身共に疲れ果てていたようです(使徒17章参照)。パウロには彼が「とげ」と呼ぶところの持病がありましたが、弱い身体のままで受け入れられていることを悟っていました(Ⅱコリント12:9)。2章3節では「そちらに行ったとき、わたしは衰弱していて、恐れに取りつかれ、ひどく不安でした。」とパウロは自らの弱さをさらけ出します。しかし、平安に生かされている今を感謝する姿勢を失っていません。 「わたしもそちらに行ったとき(1節)」とありますが、パウロは、心のからだを心底疲れさせる状況の中で、自分の存在が一人ではないことに堅く立っています。「も」で表わされている方の存在によって支えられていることを確信しているのです。それは、いうまでもなく、十字架のキリストです。この弱り果てた自分に向かう同行者イエス、十字架のキリストの存在によって支えられていることが確かであると信じているのです(Ⅱコリント13:4)。  自らの弱さをさらけ出しつつ「優れた言葉や知恵を用いませんでした(2:1後半)」。この決意が「なぜなら、わたしはあなたがたの間で、イエス・キリスト、それも十字架につけられたキリスト以外、何も知るまいと心に決めていたからです。(2:2)」という事柄です(同伴者としての主についての詩、マーガレット・F・パワーズの「あしあと」参照)。  主イエス・キリストの十字架によって背負われているのが、わたしたちの生涯であることをパウロはよくわかっていました。どのような苦難があろうとも、キリストに背負われている生涯には祝福の約束があるのです。自らの弱さをさらけ出しつつも、最終的には十字架のキリストが、いつも共にいて支えていてくださることを信じることが、わたしたちには赦されているのです。  パウロが、その病と非常な恐れと不安の中で安心を生きることができたのは、自らを頼りとしないで同伴者イエスだけを頼りとすることへと導かれていたからです。主イエスは、福音書によれば、平安や平和をもたらすことによって、病や弱り、差別や偏見と闘い、つねに寄り添う方として描かれています。様々な場面で、より小さくされた人々一人ひとりに向かって、一番ふさわしい言葉と振る舞いとで接し、同伴者となってくださったのです。その主イエスがパウロにとっても同伴者であったように、今日のわたしたちとっても同伴者として、わたしたちの人生に寄り添ってくださっているのです。

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